頭が冷えて、まず思い立ったのは本名を隠すことだ。Facebookは本名が基本だからリスクが低いって?拙僧は20年はネットコミュニケーションに参加しているのよ。そのうち、10年はソフトウェア開発の現場でコンピュータネットワークに接してきた。そんな馬面(うまづら)な根拠は全く信用できないな。気を抜いて本名で登録した名前を仮名にする手続きを探すだけだって1時間は掛かった。やっぱり、信頼できないネットワークシステムだな。肝心のコンテンツの発信なのだが、mixiのつぶやきはブログに直接リンクを貼れるので、実質的に対応はしていないのだが、Facebookはそうはいかないようだ。なので、基本的にはブログのコンテンツをペーストしてFacebookでいうところの「今の感じ(多分、英語で”Feeling now”とかなんだろうな)」としてアップロードした。しかし、全く反応が無いのである。それは当然で、Facebookの「今の感じ」は「友達」しか検索にヒットしないのだ。そんなことは昨日知った。拙僧は「友達の友達はあなたの知り合いかもしれません」なんていうメッセージは無視していたから、友達は2名しか登録していなかった。そりゃあ、ヒットしないわなあ。しかし、Facebookの影響力もそれなりに理解しているつもりだったので、一度は真剣に勉強したいと思っていたのだ。そうしたら、ふとフリーペーパーに載っていた「Facebook活用講座」を見つけたのだ。これは渡りに船である。実は、そのフリーペーパーはNPOのスタッフやボランティア発信の物で、講座の対象者もそういう方々なのだ。現段階では、拙僧はボランティアどころか全くのヒモである。しかし、2月に簿記の学校へ通うまではNPO組織と関わっていたし、拙僧を新入社員として雇ってくれる会社なんてないから、ソーシャルワーカーとしての可能も実際探っている。なので、その線で参加の許可を貰ったのだ。嘘は全くついていない。本当にソーシャルビジネスのモデリングを考えている。しかし、それを本当に実現するかは全く保証は出来ないな。拙僧は正直者なので、向こうのスタッフにもそう言ったぜよ。それでも「趣旨を理解していただけるなら、参加してくださっても結構です。」というので、申し込みをした。これは今風に言う「Win2Win」なのではないかな(そうか?)。
会場は名古屋は栄である。開始は18時だったので、早めに行って写真を撮ったり中古カメラを眺めたり、のんびりするつもりだった。ところが、天候不順で幾つかの作戦を前倒ししたり、前日に行く予定だった漢方医への通院が遅れて重なったりして、時間的な余裕を失ってしまった。それでも、ジャンク偵察狙撃作戦は辛うじて成功したのだが、その件は後述したい。
栄のナディアパークなんていったって拙僧は分からないから、暗くなり強まる雨の中、拙僧は早足だった。しかし、何とか会場は見つかって開始時刻には1分の余裕を持って間に合った。雨に濡れた赤茶髪の頭を金魚模様のアロハで拭きながら教室に入ると先客は2名のみだった。実は、その2名は拙僧は面識があった。以前、名古屋で行われたNPOスキルアップ講座で一緒になった夫婦なのだ。詳しく話すと長くなるので手短にするが、いわゆる拙僧の嫌いな権威主義者であり、「教師」というジャンルの人種だった。それでいて、言うことは結構緩い。つまり教科書に載っているような杓子定規の価値観の人物だったのだな。その時のテーマは「プレゼンテーション」だったのだが、拙僧はフリーセッションでちょっと苛めちゃったんですよ。つまり、NPOで実現しようとするテーマの実現は、ジャンルが異なっても最も重要なのは「金」若しくは「金の確保手段」であり、「理想」だの「理念」だのは「金の調達」の継続性が満足になってから考えるので沢山だというのが、拙僧のポリシーなのだ。毛沢東さんだって「革命的情熱だけでは革命は成就しない」と後年に言っている。それを、その教師夫婦は認めたくない。でも、20分くらいで夫の方の口から「金が先だ」と言わせましたよ。もう、ヤカンみたいに真っ赤な顔になって可笑しかったですねえ。こういう論理闘争は旧世紀的で褒められたものではないですが。
ああ、やっぱり余談が長くなったなあ。最初は教師夫婦と拙僧の3名だけだったのだが、最終的に生徒は7~8名は集まったようだ。拙僧の関心を惹くような方はいらっしゃらなかったから、記憶に薄い。拙僧の関心はセミナーの講師の度量に尽きるのだ。講師は年齢は37歳で拙僧とそんなには離れていないな。複数のNPOのネットワークのリーダーをしているらしい。もっとも、NPO用語は知らないから正確には理解できていないけど。2時間のプログラムで、最初の50分はレジュメを中心とした座学。10分の休憩を挟んで、残りの時間は各団体の紹介とネットコミュニケーションにおける問題点の発表・考察の予定であった。座学の方は大して関心は無い。フェイスブックのメリットやデメリット、ツールの種類と簡単な操作方法などはレジュメに書いてあるし、個人で勉強すればよい。重要なのは他の事だ。拙僧はFacebookなんて全く面白いとは思わないけど、このような期会、つまり講師を前して講義を受けるチャンスは貴重だから勉強はしたし、疑問もまとめた。Facebookそのものだけではなく、Webコミュニケーションに関する本とか「アキバから発信するキャラクークリエイト」とか、ネットコミュニケーションやそのフォロワー文化に関わる本を数冊図書館から借りてきて読んだのだ。自分のFacebookのページ?そんなものは、会場に持っていく妻のノートパソコンでちゃんと表示するかどうか、試しに2~3回は開いたかなあ。会場はLANは用意したけど、端末は持参だったのだ。座学は大人しく受けましたよ。勿論、講師の放つ気になるセンテンスをメモに取りながら。そんなこんなで休み時間に遷移。これからが拙僧の戦争ですわ。このために、席だって講師の目の前に陣取ったのは。先生、ちょっと質問があるんですけど。
先生ねえ。僕はFacebookなんて全く面白いと思っていないんですよ。Facebookでいう「友達」なんて、その気になれば500名くらいは簡単に登録できますよ。でも、その精度ってどうなんですかね。僕はブログを10年やっていて、あんまり関心は無いんだけど、どの位の方々が見てくださっているのか、稀に見るんですよ。そうすると、だいたいリピーターが300名位で、その中のコアなフォロワーの方が30名くらいですわ。でもねえ、正直言って拙僧が責任を持って発信できるコンテンツの対象者なんて30名位ですよ。とてもじゃないけど、500名や1000名なんていう方々が見ているなんて意識したコンテンツは書けませんよ。でも、30名ならどんな趣向・プライオリティーを持っているのかを把握し、楽しんで頂くことを意識してコンテンツを書ける。つまり、見てくださっている方に喜んでいただけるようなサービスが提供できるってことですよ。500名?拙僧の脳では、個別のキャラクターを把握するのなんて不可能ですな。
「Facebookは広く浅くのメディアです」
それはそうなんですよね。例えば先生がさっき「アラブの春」の話をなさっていましたよね。北アフリカの国々がネットから発信した情報で集まり、それがパワーとなって独裁的な政権を倒したのは事実なんですよ。でもそれはカリスマ的な指導者がいる訳でもなく持続的に国民の生活や人権の向上を目指していたパーティ(党)が有ったわけでもない。つまり、個人個人の主張の同一性はあっても強い結びつきではない。そういう緩い連帯はネット的な民主主義ではあるのだけれども、統率されている組織ではない。だから、北アフリカで独裁政権が倒れた後、新しい規律の基に主権的なパワーを持った政権が樹立された例は殆ど確認できない。Facebookから発生したコミュニティはそういう脆弱性がありますな。
本当のところ、僕は今回の講座を楽しみにしていたんですよ。Facebook自体は大して弄っていないですよ。でも、コンピュータ雑誌や専門誌、ネット時代の文化人類学とか、そこそこ読んできましたよ。僕が知りたいのはFacebookの技術的なスキルなんかじゃないんですよね。そんなのは個人で勉強したらいい。分からないのが、Facebookが楽しいと思っているような連中の顔なんですよ。どういう価値観を持って、どういう感性を持っている層なのか全くわからない。例えば、電車の中でスマートフォン相手によよよいみたいに指を捻ってパズルゲームをしている連中。あれ、本人もそんなに楽しいと思っているんですかねえ。僕はねえ、他に楽しいことを知らないか出来ないんだと思うんですよ。だって、今どきの20代の連中の可処分所得なんて拙僧の頃の半値くらいですよ。この辺(愛知県)の連中は親の家に住んでいるから、少しはお金を動かせるど思うけど、それだってたかが知れているんじゃないですか。拙僧が20代前半の頃は、冬は毎週、友達を誘ってスキーに行く連中もいたし、拙僧みたいに海外ツーリングへ行く連中だって、そんなに珍しかったわけでは無いですよ。「いい車を買ったら女の子にモテる」なんて幻想は、拙僧の世代が最期じゃないですか。
誰かの本音を聞こうとしたら、3つの手段がある。「自分の発言を呼び水にして、相手にどんどん発言させる」「パーフェクトな正論を相手にぶつけ、発言を啓発させる」「訳の分からないことを言って混乱させて、その後にいきなり正論に遷移し、本音を引き出す(或いは逆に正論から初めて話題を不安定にさせて混乱させる)」無論、スマートな方法は前者だが、拙僧の様な学歴も知恵も無い物は後者を選択するしかないな。ヅラヅラヅラッと拙僧の吐き出した言葉を並べたが、実際にはもっと粗暴でややこしい表現を使った。コンテンツとして綴るためにかなり要略してあるが、内容は上記の通りだ。講師の返答もだいぶ要約しているので、その辺りはご了承いただきたい。
講師の返答は「フェイスブックは広く浅くのコミニュケーションであり、必要性の高い情報はHPで行うのが妥当だろう」というようなことだった。しかし、それではFacebookのメリットとしてレジュメにかいてある「信頼性の高い情報」は危ういんじゃないですか。情報の精度の話は後にしましょう。知りたいのはFacebookを楽しいと思うような連中が楽しいと思っている価値観やその論理的なロジックなんだけど。例えば、そういう連中を理解するのって適切な雑誌とかあるんですかね。今更。コロコロコミックとかeggを読みむのは嫌だなあ。
「eggを読むしかないですね。」
ううむ、岡崎図書館にeggはあるかなあ。
その後も拙僧の講釈は続く。今の小学生は運動会もお手て繋いでゴールするような競争社会を誤魔化した教育を受けているのだが、実際の社会は拙僧が新入社員だった頃よりも競争も成果主義も遥かに厳しい。だって、1日に300通位メールが来るのだ。その内の必要なのは10件くらいなんだけど、そんなの見落とすわなあ。しかし、これを見落とすと凄く怒られるのだ。学生時代に競争社会を見せないようにして、実際の社会は遥かにしんどいなんて言うのは教育の詐欺だな。若い新入社員が鬱になる率がすごく高いらしいんだが当然だよね。そんな、ストレスにさらされる教育を受けていないんだから。これは若い連中が悪いんじゃなくて詐欺的教育機関の悪行だな。拙僧は写真で若い連中と席を一緒にする機会がそこそこあるんだけど、彼らはスキルはあるのだ。根本的な知識が全く勘違いだったりするのだが、適切なツールをネットで入手し、その操作をマスターするのが速いので、結果的に仕事を速く解決できる。エグゼクティブやマネージャーを目指すのだと、それだけだと困るけど、20代後半くらいまでは、それでいいんじゃないかな。しかし、評価されるのに対して、酷くナーバスである。例えば写真でも撮るのは好きだが、評価されるのは嫌なのだ。最近になって分かったのだが、彼らは撮った写真をプリントもしなければネット上で公開もしないのだ。どうしているかというと、大容量の記録媒体をカメラに挿して、その液晶ビュワーに写った画像を交換して鑑賞しているのだ。今のデジ一眼レフやミラーレス一眼の液晶ビュワーは大きいから、それなりに鑑賞に堪えないことも無いのだ。これなら、写真をアップロードしなくてもイイから、自分じゃ全く写真は公開していないのに人の写真のケチをつける「ネットやから」に悩むことも無い。
Facebookが楽しいと思う連中の顔というのは、結局よくは分からなかった。しかし、現代的な写真の鑑賞方法が分かったということは、Facebookもやっているうちに、その価値観が分かるようになるだろう。それに、商売ベースで利用するのに、必ずしも個人的に楽しむ必要もないしな。
拙僧の知りたい物件はあと一つあった。つまり、Facebookのビジネス的な運用である。Facebookに情報発信力があるのは理解できたが、それだけではネット利用の価値は殆どないだろう。つまり、フォロワーのフィードバックを管理し、適切な対応(サービス)を用意することができるのかということだ。個人だったら「友達百人出来て嬉しいな」で構わないのだが、今回は少なくても組織としてネットを活用する方の講座だし、ビジネス(NPOを含む)として、どのような活用の可能性があるのかを知らなければならない。これはレジュメなんかには書いていないから、質問するにも知恵が要るな。
普通に考えれば顧客情報管理が思いつく。HPなら名前や住所、生年月日を入力するページが有って、ユーザーは割引クーポンが付いたメールが届くとか、兌換性のあるポイントカードをくれるとかの旨味があって登録する。しかし、シンプルな情報交換ツールであるFacebookでは、ちまちまフィールドを入力すのは馴染まないだろう。ちょっと驚いたのだが、生徒の中で「友達から来たメールにHPのアドレスが書いてあったのだけど、それを押すのも面倒くさい」と言った方がいらしたのだ。そういう方は顧客にはならないので論外だとしても、軽い気分のFacebookのフォロワーの方を穏便に顧客として取り込むのは工夫が必要になるだろうなあ。Facebookでは個人のアカウントは友人しか鑑賞できないが、団体のアカウントはフリーに引っかかるらしい。そうでなければ、情報発信としては全く役に立たないしな。基本的にFacebookでコンテンツが評価されるのは沢山のフォロワーに「いいね」をクリックしてもらうことである。そうなると、単位時間、例えば1週間に自分のFacebookのページの「いいね」をクリックしてくれたフォロワーのリストとか手に入るのだろうか。講師によると、基本的にはそういう機能は無いそうである。しかし、もしかしたらそういうアプリはあるかもしれないとのことだ。ではこういうのはどうだ、「いいね」をクリックしてもらえると少なくてもメールで伝わってくるのだ。つまり、外部に送信するロジックは存在するのである。だから、ネット上のDBでいいから、「いいね」をクリックしたフォロワーを顧客情報として管理し、その頻度によってクラスを分け、ホットなフォロワーにメッセージを投げるような顧客管理システムを作ったらいけるんじゃないの。そもそもの「今の感じ」を発表する際に、その話題のカテゴリーをこちら側で管理し、「いいね」をつけたフォロワーがどのカテゴリーにヒットしたかを管理すればフォロワーの精度が上がるよなあ。これ、使えるんじゃないの?どう?先生?
「それが出来たらニーズはあるでしょうね」
あ、拙僧勉強しよう。Facebookのレイアウトはシンプルな物だが、常識的なHPのように込み入ったレイアウトにすることが本来は出来るのだ。しかし、それをやるにはHTML文にスクリプト言語を組み合わせた、かなり本格的なコーディングになってしまう。講師によると、あくまでもFacebookはシンプルを身上としているから、プログラマブルな作業してまで込み入ったレイアウトは馴染まないそうだ。しかし、バックグラウンドで情報を管理する分にはフォロワーは気づかないだろうし、営業的には有効だ。拙僧はスクリプト言語は苦手なんだけど、ちょっと本気で勉強しようかなあ。
拙僧の見解をまとめると、公式的な情報の主体はHPなのは今も変わらない。Facebookでのコミュニティは裏の部分でコアフォロワーを補完するに便利なツールであろう。つまり、裏話とかコアな方向けのちょっとしたサービスをアンダーテーブルで提供する適しているのではないかと判断した。この意見には講師も概ね同意見であった。
ああ、今回の講座は充実したなあ。拙僧の疑問は解決はしない物の整理は出来たし、今後の対応も具体化した。2時間の授業で40分くらい講師を独占してしまったのだけれども、意見があれば他の生徒の方々だって口を出すだろうから文句は無いのだろう。隣の女子は相模原から来たと言っていたが、本気で講義を聞くだけで勉強できてマスターできると思ってたのかねえ。自分から疑問を掘り下げないと、書いてあることを写すしか出来ないぜよ。教科書に書いてあることを覚えるのが勉強だと思ったら、大間違いだ。
やっと、本題である。名古屋に「コメ兵」という大型リサイクルショップがあり、そこのジャンクコーナーが自動車用アルミホイールとタイヤの販売ブースになり、ジャンクコーナーが無くなったと文句を言ったのが一か月前くらいだ。ところが、その後、ジャンクコーナーは復活した。テーブルの上に籠が2~3置かれており、また、空いたテーブルの上にも複数のジャンクカメラ・ジャンクレンズがイイ規模で転がっているのである。しかも、バラエティーやクオリティーが以前より向上したのだ。以前だったらシャッターも切れなければ巻き上げもできないゼニットEが3000円のプライスタグをつけていたのだが、今回の講座の行きがけに寄った時にはキヤノノデミEE28やプラクチカマウントのオートレビュノン50mmF1.9やFD50mmF1.4が全て500円均一だった。勿論、クオリティは申し分ない。オリンパス35UCは露出計が壊れていたが、光学系は綺麗だし500円なら満足だ。一番得をしたのはマミヤ135EFで、これは電池を詰めたら絞りも明るさで変化した。プライスタグは100円である。
そういう訳で、ちょいちょち大須観音に寄る予定は増えそうで嬉しいなあ。